1月1日。 あの大きな揺れから時間が経ち、懸念していた津波の心配も落ち着いたので僕たちは避難所を利用することはなくなんとか家で夜を過ごすことができました。でも幾度となく余震が続いたので眠ることはできなったです。
次の日は地域住民のみんなで液状化で吹き上がった砂泥の除作業。 人生でこんなに土嚢袋を使ったのは初めてです。
それでもみんなで力を合わせて溝に溜まった大量の砂泥を取り除くことができました。 こんな時近隣とのコミュニケーションの大事さを改めて感じたなぁ。
その後しばらくして家(アトリエ)のり災状況を調べてもらったんですが…
結果、細かい不具合はいくつか見受けられたものの住めなくなるレベルではなくて一安心。 もちろん今は正常に生活しています。
あれからすでに2ヶ月がすぎました。今でも地震の被害で辛い思いをしておられる方々がたくさんいます。
能登は僕の鉄板ツーリングエリアだし似顔絵のイベントで何度も訪れている大切な場所。 胸が痛みます。
とにかく一刻も早い復興を心よりお祈りしています!!
頑張ろう!能登!石川!
揺れはどれくらい続いたのか…とてつもなく長く揺れていたような気がします。
揺れが落ち着いてきたところを見計らって家族と一緒に駆けるように外へ。
電線はまだ左右にゆさゆさを揺れています。いや、地面もまだ揺れてるのか。
追い討ちを駆けるように今度は地面のあちこちから砂泥が噴き出してきました。 「え!?上下水管が壊れたのか?」と思っていましたが程なくしてこれが「液状化現象」であることに気づきました。
なぜなら噴き出し口になっている住宅地の電信柱たちが1メートル以上に渡り地面に沈没。 中には大きく傾いて今にも倒れそうな柱も!
液状化現象って社会で習ったことはあるけどまさか自分の住んでる地域にそれが起きるなんて。 ショック!
続く
2024年3月から始めたこのブログ。 本当は2024年の元日に開始を計画していました。 そう、あの地震が起きなければ…
1月1日 この日は実に天気が良くのんびりとしたお正月でした。 午前中に家族と近所の初詣を済ませ午後は頃合いを見てブログ記事を書くぞ! と思っていたその時、1回目の地震が当然やってきました。
程なくして揺れが浅まり「いや〜、思ったより揺れたな〜」と家族と肩を撫で下ろしていた次の瞬間家のスマホから地震速報のサイレンがけたたましく鳴りました! 驚きながらも過去に何度かこのサイレンが鳴る状況を経験していたのでとりあえず机の下へ。
程なくして地面が地鳴りを始めました。ミシミシと音を立てる家屋。 そして2段階目の揺れ。
「揺れが大きくなってる…汗」まずいことになってるかもと心配になってきたところで更に揺れの3段階目!
これが人生で一番の揺れでした。 家がグワッシグワッシと音を立てて揺さぶれられ流石に命の危険を感じました。
続く